ブログ
自分の中にスペースを
気付けば12月に入り、年の瀬感を感じないままぼんやり過ごしている。
有り難いことに妊娠も来週で無事臨月に突入。
腎臓の方も悪化することなく経過してくれている。
お腹の張りや疲労感で生活のスピードは大きくスローダウンしている。
今は、深く思考を巡らすこともなく、言葉軽く言ってしまえばぼんやりと、その時の感覚の流れにしたがってゆるりと過ごしている。
ちょうどさきほど、先月のヨガのティーチャートレーニングの録画を観ていた。
その中で、プラーナ(エネルギー)を育てるには、自分の中に"スペース"を持つことが大切と。
ああ、そうだ。まさに、今、私はこの時間を通して、自分の中のスペースを拡大させているのだ。
教えが今の自分と重なって、妙にしっくりきた。
あと1ヶ月弱、赤ちゃんが誕生するまでは、このままゆったりと過ごそうと思う。
自分の中ににスペースを育んでいこう。
穏やかな秋の夕空に
妊娠9ヶ月に突入。
まだ1ヶ月以上もあるの?というくらいお腹はちきれそう。上の子二人のときはこんなに苦しかった記憶はないのだけど。
息切れとお腹の張りと胸やけのような感覚、行動のスピードが普段の3倍ほどかかるくらいゆっくりしか動けないなどの身体のしんどさを考えると、出産が待ち遠しくなるけれど、赤ちゃんはできるだけお腹の中で育ったほうがいい。まして大量の服薬で早産のリスクがある中ではより慎重になる。
退院してからは午前中、午後と横になって休養の時間をとっている。
時間の流れが穏やかだ。
身体のしんどさでろくに思考もできない。
"あなた、過去や未来に執着・妄想するより、今ここに在り、赤ちゃんと向き合う時間をとってください"
と言われているんだと思う。
だからぼーっと、ゆったりと過ごしている。
その中でも家事はできるだけこなしている。
毎日の食事作りは今の私のメインの仕事と言ってもいいくらい。
腎臓を病んでしまった私は、塩分、水分、タンパク質、炭水化物量をコントロールする必要がある。ビタミンやカリウムなどの数値も、受診時の検査結果とにらめっこ。さらに糖尿合併で血糖管理も(^^;)
それまでも食事にはある程度気を使っていたけれど、退院後はそれでもガラリと変わったというくらい変わったかもしれない。
病気食のバランスや量を思い出しながら、毎食4〜5皿の品数が並ぶ。
前より豪華だ!
秋も深まり、畑では冬野菜の収獲が始まった。
入院中せっせと畑管理してくれた友人よ、ありがとう!
無肥料・無農薬でできるお野菜たちは小さかったり不揃いだったりするけれど、身体に良いので本当にありがたい。
料理に塩をほとんど使わなくなって、素材の味を噛み締めて食べることを知った。
調味料なんて使わなくたって、素材1つ1つの持つ味で食は楽しめる。
今日は間引いた小松菜をどうやって食べようかな(^^)
穏やかな1日に、感謝。
いいこと も負荷になる
日中うっすらと汗ばむくらいの暖かい穏やかな日が続く。
休日の今日も朝から朝日輝いている。
それなのに、今日は子どものいつもの駄々こね騒ぎに急に心乱され、思わず泣き出してしまった。
日々、丁寧に。
なんだかそれに知らずしらずと追い込まれてしまっていた自分に気づく。
「いいこと」もやがて負荷になる。
「悪いこと」もやがて負荷になる。
子どもに対しても、「あなたのためなのに」と、知らずしらずに求めしまっていた。
やっぱり人間ってとてもとても欲深い。無意識に、他者からの「承認」を求めている。
そうすることで自分の存在価値を確かめるように。
本当に他人に何も求めず、期待せず、ただ自分の"生きる"を全うする。
なんて難しいことなんだ!
どれだけ自分が小さいか、不完全かを突きつけられる。
そりゃそうだ、私なんてこんなもんだ。
生かされている
私は何かの大きな流れの中で、与えられこの身体を得て、この物質の寿命の限り生きている(生かされている)ということ。
私たちは普段、何でも自分自身の手で操作できるがどうにかできる、なんて思いがちだけど、例え今までの生き方や習慣が私たちの心身に影響を及ぼしているとしても、それはほんとに小さなことで、そもそもこの肉体が与えられこの世に誕生したことに、私自身が関与できる余地は全くない。
だから、あの時こうしていたら、こうしていなければ、という過去への未練や執着は無意味だ。
ただ、これからの未来、少しでも自分に与えられた肉体をいたわり慈しみ、大切に育みながら生きていきたい。
与えられたもの、すなわち、私のものではあるが私のものではない。
我が物顔で肉体を酷使することはやめよう。
与えられたことに感謝し、それに満足し、今の幸せを感じることを忘れないことにしよう。