私のストーリー

誕生の時

私は予定日を過ぎても生まれてこず、最終的には誘発分娩でこの世界に引き出されました。
生まれ落ちた環境は決して穏やかではなく、家庭には不和があり、母の涙や緊張した空気の中で育ちました。幼い私にとって、安心できる居場所はどこにもないように感じられました。

他人軸で生きた幼少期と学生時代

5歳ごろから小学1年までの数年間、仕事の都合で両親が別々の県で暮らすことになり、私は母と妹と三人で暮らしました。母は仕事で忙しく、私たちにはいつも鬼のように怒ってばかりいたように記憶しています。私は「安心感」を感じられないまま、心を固めて過ごしていました。
小学二年になり、両親が深谷市に家を建てて家族全員がそろいました。弟も生まれました。私は母の怖さから解放され、学年が上がるにつれてリーダーシップを発揮するようになり、人をまとめることの楽しさや、みんなで一つのものを作り上げる喜びを知りました。一方で、自分の“我(が)”を出した時に、図らずとも人を傷つけ、傷つけられる経験をここで初めて味わいました。

中学・高校時代は、学級委員や生徒会活動を通じて「ゼロから物事を創る喜びと達成感」を体いっぱいに感じた時期でした。その一方で、この時期にもまた他者を傷つけ傷つけられる経験や恋愛での挫折を味わいました。

3.png

その後の大学進学、留学、結婚…人生の大きな選択を繰り返す中で、私はずっと「周りにどう見られるか」を優先し、自分の心を置き去りにしてきました。大切な人との別れや深い喪失を経験しました。

やがて、父の勧め(この時も決定を他人に任せていました)で理学療法士の道を選び、病院で働きました。
人の役に立ちたいという想いがあってのことでしたが、体だけを扱い心を置き去りにする現場に、私は強い違和感を覚えました。
「心と体は繋がっているのに、どうして心を見ないのだろう?」
その問いは、私の中で大きくなっていきました。

 

転換のとき

そして、自分の中の違和感に正直に生きようと、理学療法の職を辞し、ヨガスタジオを立ち上げたのが、初めて自分の心からの意志で選択した大きな決断のような気がします。

 

ところがヨガスタジオを立ち上げて間もなく、妊娠と同時に自己免疫疾患を発症しました。
青天の霹靂のような出来事に打ちのめされましたが、その病は「外に依存する医療ではなく、自分で自分を癒す」という大切な気づきを与えてくれました。
そこから私は、ヨガや整体、気やエネルギーワークを学び始め、心と体と魂を統合する「癒しの道」へと進みました。

 IMG20210203152114~3.jpg

出会いと導き

そして、さらに私の人生を大きく変えたのが「情報変換ヒーリング」との出会いでした。

当初の私は、「クライアントの不調を根本的に解決する方法が知りたい」と、その手段やヒントを探していました。どうすれば、人は繰り返す痛みや苦しみから本当に自由になれるのか――その答えを求めていたのです。

 

けれども、その学びは思いがけず、私自身の内側を深く照らし出しました。
「癒すために学ぶ」つもりが、実際には「自分を根源的に変容する」道に導かれていたのです。

 

過去に背負ってきた傷や、押し込めていた感情、外側の価値観に従って生きてきた自分。
それらすべてを見つめ直し、溶かし、統合していく過程が始まりました。
激しい感情の揺さぶりや絶望感、痛みも喜びも、そのままが素材となって、私自身が再び生まれ直すような体験。

 2.png

私の使命、そして喜び

情報変換ヒーリングは、単なる手法ではありませんでした。
それは「私が本当の私に立ち還る」ための扉。
そして今では、その扉を他者の前に開き、共に歩むことが、私の使命となっています。

 

現在は、光と闇の両方を知る存在として、クライアントの方が自分自身の本来の輝きを取り戻せるよう、ヒーリングを通じてサポートしています。
これまでの孤独や迷い、失敗や喪失も、今はすべてが「人の痛みに寄り添うための糧」になっていると感じています。

私の人生は、順風満帆でも、光ばかりでもありませんでした。
けれども、すべての出来事が私を「ヒーラー」という道へ導いてくれました。

 

今、もしあなたが不安や痛みの中にいたとしても、それは必ず光につながるプロセスです。
その道のりを共に歩み、あなたの本来の輝きを取り戻すお手伝いができれば、それが私にとってこの上ない喜びなのです。