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2021/10/14
入院 つれづれ日記 その10
希望より、絶望を抱くほうがたやすい。
今も私の中に時折顔をのぞかせる。
それでも、以前のような頻回さではなくなったけれど。
昨晩それに今朝、久々に私の中に現れて、私の心を支配しようとした。
家で待っている子どもたちを思って泣き、私自身とお腹の子の未来をあれこれ想像して、闇の世界へ簡単に転げ落ちそうになる。
俯瞰的な視点がそれらの想いに気づく。
妄想だ、と考えることもできるようになった。
一度、それらの思いを受け止める。認める。私の中に現れることを許す。
そして、認識する。
これらの想いは、私の意識が生み出したもの。
意識の中で生まれ、膨らみ、やがて衰え、消失していくものにすぎないということ。
感情や思考は次々と生まれては消えゆくもの。
ただそれだけのものとして扱う。
良いこと、悪いこと、どんな想いを抱くにしても、ありのままの私は不変だから、どんな想いがやってきても、変わらないのだということ。だこら、自分にとって良い感情を喜ぶこともなく、否定的な感情を排除することもせず。
そうやって今日も私は淡々と1日を過ごしている。