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不安や衝動性が強いときこそ、身体に目を向ける時間を
少し前に、贄川治樹先生という、身体と心理学の専門家の方のお話を聞く機会があり、うんうんうん!!と、何度も頷きながら話に聞き入ってしまうという体験をしました。
人間、不安なときや心もとないときに限って色々と考えすぎてしまい、かえって良くない結果を招く、なんていうことが結構ありますよね。
思考する=ドーパミンが増えて恍惚感を得られることで満足・安心してしまうのですが、これは例えると「人参を目の前に吊り下げられた馬」のようなもので、常に走っていなければ満足感が得られない状態にあるとのことです。同時に、ドーパミンが増えるということは、興奮状態にあるということ。
頭(脳)というものは、過去のデータしか持ち合わせていません。また、マインドは過去の事象(主にネガティブなもののほうが余計鮮明に覚えていたり…)か、未来の事象(期待よりも不安のほうがより感じやすかったり…)に目を向けがちです。
不安というものは、何らかのエネルギーがあるのにその出口がないときに生じるといいます。こんな時、身体を随意的(自分の意志で思う通りに動かすこと)に動かすことは、身体をコントロールできているとの安心感を産み、また、多方向に散乱しているエネルギーを一方向に整える効果があるらしいのです。
立っているときに腹や重心を意識する。
地に足がついている感覚を経験する。
腹に中心が集まると、何もしなくても実在感を得られるようになる(先ほどの人参を目の前に吊り下げられた馬とは正反対の状態)。静かな時間の中で、身体を感じる時間を持つことが大切だと、先生は説いていらっしゃいました。
今の自分に気づくこと=マインドフルネスが大切なのですね。
"今にいることでしか、次の行動は生まれない"
年度末である3月。
私自身、来年をどう過ごしていこうか、仕事のこと、家庭のこと、人生のこと、諸々を、頭の中であれやこれやと思案することが多くなっていて、気づきたら頭でっかちに。
だから、時間的余裕のある日は、午前中にウォーキングをする時間をとっています。その時間は思考することはやめ、身体の感覚に意識をむける時間にするよう心がけています。
それでもいつの間にかまたあれこれ考え出していることも多いのだけれど、そんな自分にまずは気づくことが、今の自分を知るためには大切なのかなと思います。
土に触れる
生命の展開に調和した生き方
「生命の展開に調和した生き方ができていますか?」
先日、瞑想の先生から投げかけられた言葉に、はっとする。
今までよりもスローダウンした生活が必要だと身にしみた年末年始を過ごし、今は私の人生そのものの分岐点にもあると感じている。
もともと常に何かをしていたい、せわしない性格。仕事も、趣味や興味のあることもどんどんチャレンジして、何かと行動していた。それと同時に頭の中も常にフル回転していた。
そんな私に、ここに来て、スローダウンしなさいとの声(心の中の)。
今までの私と、新たな私が相容れず、戸惑う気持ちがあるのが正直なところ。
そんなときに、この言葉を投げかけられて、『ああ、私はいったい何に抗おうとしているんだ』と気づく。
こういう生命の展開なのだから、抗いようがないではないか。
大きな川の流れに乗って、その流れにただ身を任せよう。
そう思えたきっかけとなりました。
身体や心に傷を負ったとき
『身体や心に傷を負ったとき、そのときこそ傷を癒やす方法を知るいい機会だ』-------ブッダ
昨年末にネフローゼを再発したものの、入院加療は免れて穏やかな年末年始を過ごすことができたことには、ただただ感謝。
とはいっても、ステロイドの服用量は今までの10倍に逆戻り。当然諸々の副作用も出てきている。
身体の声を聴くことができるようになっているのか、「日常のペースをスローダウンして」と、身体とと心がこちらへ話しかけてくる声が聴こえる。
家事育児仕事の最中にも、呼吸に気づく頻度を増やすこと。そして意識的にゆっくり呼吸することを心がけて過ごしている。
朝と夜にはほんの僅か数分ながら、ゆっくり座って瞑想して、心の静けさを確認する時間をもつ。
今日も1日、家族みんなが無事に過ごせることが、この上なく有り難い。
ないものを追うより、今あるものに感謝する
12月半ば、いよいよ今年もあと少し、というところで発覚した、ネフローゼの再発。
幸い自己検尿で早期に発見できたので、入院加療には至らずに済んで、今は心からホッとしている。
毎回、自分に衝撃を与える出来事が起こると、それが自分にとってなんの意味があるのかということを思う。
多くの人が言うのに漏れずに私も言うけれど、日常の平穏が脅かされる時になって初めて(改めて)、その平穏の尊さを思い知る。
1年前に初めて発症してから、順調に減薬できていたから、また、知らず知らずに自分自身に負担をかけていたのかもしれない。
ないものを追うことが増えていた。その分、「今ここにあるもの」に感謝の思いを持ち続けるということを蔑ろにしていたと、強く感じている。
saṃtoṣa=サンスクリット語で、「足るを知る」。以前にもブログに載せたことがあったような。
ヨガの世界においても、とても大切にされていること。
改めて、心に留めたい。