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穏やかな秋の夕空に
妊娠9ヶ月に突入。
まだ1ヶ月以上もあるの?というくらいお腹はちきれそう。上の子二人のときはこんなに苦しかった記憶はないのだけど。
息切れとお腹の張りと胸やけのような感覚、行動のスピードが普段の3倍ほどかかるくらいゆっくりしか動けないなどの身体のしんどさを考えると、出産が待ち遠しくなるけれど、赤ちゃんはできるだけお腹の中で育ったほうがいい。まして大量の服薬で早産のリスクがある中ではより慎重になる。
退院してからは午前中、午後と横になって休養の時間をとっている。
時間の流れが穏やかだ。
身体のしんどさでろくに思考もできない。
"あなた、過去や未来に執着・妄想するより、今ここに在り、赤ちゃんと向き合う時間をとってください"
と言われているんだと思う。
だからぼーっと、ゆったりと過ごしている。
その中でも家事はできるだけこなしている。
毎日の食事作りは今の私のメインの仕事と言ってもいいくらい。
腎臓を病んでしまった私は、塩分、水分、タンパク質、炭水化物量をコントロールする必要がある。ビタミンやカリウムなどの数値も、受診時の検査結果とにらめっこ。さらに糖尿合併で血糖管理も(^^;)
それまでも食事にはある程度気を使っていたけれど、退院後はそれでもガラリと変わったというくらい変わったかもしれない。
病気食のバランスや量を思い出しながら、毎食4〜5皿の品数が並ぶ。
前より豪華だ!
秋も深まり、畑では冬野菜の収獲が始まった。
入院中せっせと畑管理してくれた友人よ、ありがとう!
無肥料・無農薬でできるお野菜たちは小さかったり不揃いだったりするけれど、身体に良いので本当にありがたい。
料理に塩をほとんど使わなくなって、素材の味を噛み締めて食べることを知った。
調味料なんて使わなくたって、素材1つ1つの持つ味で食は楽しめる。
今日は間引いた小松菜をどうやって食べようかな(^^)
穏やかな1日に、感謝。
いいこと も負荷になる
日中うっすらと汗ばむくらいの暖かい穏やかな日が続く。
休日の今日も朝から朝日輝いている。
それなのに、今日は子どものいつもの駄々こね騒ぎに急に心乱され、思わず泣き出してしまった。
日々、丁寧に。
なんだかそれに知らずしらずと追い込まれてしまっていた自分に気づく。
「いいこと」もやがて負荷になる。
「悪いこと」もやがて負荷になる。
子どもに対しても、「あなたのためなのに」と、知らずしらずに求めしまっていた。
やっぱり人間ってとてもとても欲深い。無意識に、他者からの「承認」を求めている。
そうすることで自分の存在価値を確かめるように。
本当に他人に何も求めず、期待せず、ただ自分の"生きる"を全うする。
なんて難しいことなんだ!
どれだけ自分が小さいか、不完全かを突きつけられる。
そりゃそうだ、私なんてこんなもんだ。
生かされている
私は何かの大きな流れの中で、与えられこの身体を得て、この物質の寿命の限り生きている(生かされている)ということ。
私たちは普段、何でも自分自身の手で操作できるがどうにかできる、なんて思いがちだけど、例え今までの生き方や習慣が私たちの心身に影響を及ぼしているとしても、それはほんとに小さなことで、そもそもこの肉体が与えられこの世に誕生したことに、私自身が関与できる余地は全くない。
だから、あの時こうしていたら、こうしていなければ、という過去への未練や執着は無意味だ。
ただ、これからの未来、少しでも自分に与えられた肉体をいたわり慈しみ、大切に育みながら生きていきたい。
与えられたもの、すなわち、私のものではあるが私のものではない。
我が物顔で肉体を酷使することはやめよう。
与えられたことに感謝し、それに満足し、今の幸せを感じることを忘れないことにしよう。
知足 samtosa
毎日がマインドフルネス
身体が思うように動かず、それに並行して精神活動も滞っている。
だから日々、ゆっくり、ゆっくり家事をこなし、身体に良い食事を食す。
その行為自体に専念する。
日々、マインドフルネスを実践しているということだ。
そして、自分自身の内側から沸き起こる感情に気づき、受け入れ、流していく。
そうやって自分を愛でる。
そして、こうした私自身の行動は、子どもたちの未来へ繋がっていく。
今、私は、親やそれ以前の世代から受け継いで来た、私を縛り苦しめてきた" 種子"を、私の代で止める、ということに向き合っている。
それは、このゆっくりとした生活の中でこそ実践できること。
子どもたちが、自由に、伸び伸びと、輝き成長することができるように。
日々の生活を、丁寧に紡ぐことが、今の私のダルマ(役割)だ。
何をするにもマインドフルネスに行いなさい。
そうすれば、あなたは本当にそこに存在することができます。
本当にそこに存在してこそ、愛することもできます。
−−−ティク・ナット・ハン