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2021/10/18
入院 つれづれ日記 その13
あれから、また考えてみた。
この病気を受け入れ、変えなければならないことは沢山ある。
だけど、変わらないことは?
私がこの間(かん)一番望んだことは何?
私は今ここに存在するということ。
愛する家族のそばにいて、触れて、抱きしめることができるということ。
私にとってこれが一番大切にしたいもの。
何が一番大切かがわかったとき、その他のことは、どうにかなるという気がわいてくる。
2021/10/18
入院 つれづれ日記 その12
退院許可。と同時に、今後も再発を繰り返しやすい病型である可能性が高いこと、産後に腎生検を受けなければならない可能性があること、等の説明を受ける。
家に帰れるという安堵の次に、胸にモヤモヤ感、イライラする感情まで芽生える。呼吸が浅く乱れる。
これはどこからくるのだろう。
そうか。葛藤だ。
退院後、今まで通りの生活はもう戻ってこないということ。
今までの "普通" を手放すということ。
現実的なレベルで、生活や仕事、趣味に至るまで、全てに制約がかかるということ。
周囲への負担。
経済面の不安。
そしてまずは無事に出産できるのか。急な状態悪化で赤ちゃんや自分自身にリスクはないのか。産後も無事に子育てできるのか。
腎生検への不安。
とめどなく溢れてくる。
未来の話なんて、誰にもわからないのに。
今を生きることに留まるべきなのに。
死を覚悟して生きろ、そう言われている。
いずれにせよ、受け入れなければならない。
少しずつ。
2021/10/16
入院 つれづれ日記 その11
明日、保育園で運動会を迎える二人の娘たちへ
お姉ちゃんへ
そのままのあなたが、大好き。
何ができても、何ができなくても、ちゃんと向き合う勇気を持っている、それだけでとっても素敵。
ここ何週間も、保育園では毎日のように運動会の課題と向き合ってきたあなた。
ずっと憧れてきた年長さん。
まだ5歳という幼さの中で、初めて困難とする課題と出会い、周りから時には厳しく求められることに出会い、その中で自分自身と向き合うことも求められたのではないかと思います。
晩ごはんもろくに食べずに疲れて眠ってしまった日々。
ビデオ電話越しに垣間見る表情。
感情を内に秘めるの、得意だもんね。
母はあなたの人生の中の大切な時期にあなたの一番近くにいて触れることもできず、抱きしめることもできずにいる。
寂しい時がいっぱいあるよね、不安なこともいっぱいだよね。
ごめんね。
あなたに一番伝えたいのは、そのままのあなたで大丈夫。ということです。
妹ちゃんへ
すっかり父にベタベタして、赤ちゃん言葉になって、相変わらずの指しゃぶり。
友人たちから保育園での無邪気な様子を聞いて、母はホッとしています。笑顔で遊び回って、怒って、大泣きしてと、ちゃんと自分の感情を出せているということに、安堵しています。
でも同時に、きっと、あなたの心の奥の奥には、4歳という幼さの中で必死に抑えているもの、こらえているものがあるのではないかと、案じています。
電話越しにいつも お腹の赤ちゃん元気? と話すあなたの優しさ。
帰ったら、た~くさん抱っこして、
好きな本をいっぱい読もうね。
あなたのことが大好きです。
もう少し、待っていてね。
明日は思いっきり楽しんで!
2021/10/14
入院 つれづれ日記 その10
希望より、絶望を抱くほうがたやすい。
今も私の中に時折顔をのぞかせる。
それでも、以前のような頻回さではなくなったけれど。
昨晩それに今朝、久々に私の中に現れて、私の心を支配しようとした。
家で待っている子どもたちを思って泣き、私自身とお腹の子の未来をあれこれ想像して、闇の世界へ簡単に転げ落ちそうになる。
俯瞰的な視点がそれらの想いに気づく。
妄想だ、と考えることもできるようになった。
一度、それらの思いを受け止める。認める。私の中に現れることを許す。
そして、認識する。
これらの想いは、私の意識が生み出したもの。
意識の中で生まれ、膨らみ、やがて衰え、消失していくものにすぎないということ。
感情や思考は次々と生まれては消えゆくもの。
ただそれだけのものとして扱う。
良いこと、悪いこと、どんな想いを抱くにしても、ありのままの私は不変だから、どんな想いがやってきても、変わらないのだということ。だこら、自分にとって良い感情を喜ぶこともなく、否定的な感情を排除することもせず。
そうやって今日も私は淡々と1日を過ごしている。
2021/10/11
入院 つれづれ日記 その9
"ヨガの世界に踏み入るというのは、こうゆうことか!"
夕方、シャワーを浴びている最中に、突然強く心に湧き上がり、同時に強く腑に落ちた感覚が充満した。
全ては繋がっている。
全て導かれている。
幼い頃の苦しい体験が、記憶として今も私の中に大きく居座っているということ。
今、私の人生が、ヨガと関わりを持ったということ。
そしてそれが私にとってはとても重要なものと直感し、他者へ伝えていきたいという想いが芽生えたということ。
けれど同時に、疑念や自分自身に対する自信のなさから、いろんな迷いがあったこと。
そして、今回の病気は、私に、自分自身と向き合えと言っている。
ここまで肉体の不調をきたす状態にならないと、きっと疑い深い私の心は動かなかったのだと思う。
ここまで、ヨガが導いてくれたのだ。
今この病気を経験し、今後もともに歩んでいくことで、私自身に真実を教えようとしてくれているのだ。
私はあるがままの本当の自分自身を取り戻したい。
今、その過程にいる。
全ては繋がっている。
全て導かれている。
だから私は大丈夫だ。