お知らせ

2021/09/28

入院 つれづれ日記 その5

入院 つれづれ日記 その5

シャワー浴のあと、ひと息ついてからのプラクティスにて

 

そこに立った瞬間から、私は守られている、包まれているという実感があった。

 

私は光のヴェールで包まれていて、周りにも光の余韻が放たれている。

心は穏やか。ただそれだけ。

何も心配することはないよ。との声。

 

 

どこかで、このあたたかさ、安心感が長続きしないのではないかという不安が頭に過って、去った。

ただ、それをも圧倒するような深いやすらぎ。

 

病院という環境にいながら、何も不自由なく、こうして穏やかな時間を過ごすことができているということ。この瞬間に私が在るということ。

 

 

OM  Śāntih Śāntih Śāntih

 

2021/09/27

入院 つれづれ日記 その4

副作用のために、新たな治療を開始して、いろんな問題と追いかけっこをしている。

だけど、1番重要な数値は、入院当初に比べて順調に回復しているとのこと。今朝、担当の医師の方が説明してくれた。

細かい問題は色々あるけど、それは受け入れて。委ねて。

おおもとは良い方向に向かっている。それだけで、パワーが溢れてくる。

 

みなさまにもSāntiをおすそわけできますようにと、お祈りしています(^^)

 

2021/09/26

入院 つれづれ日記 その3

薬の副作用か、身体に目に見える変化や目に見えない血液検査上の数値の変化を目の当たりにする日々。

 

 

"自分を信じることができるか。"

 

病気という、特殊な状況に置かれるとなおさらこうゆう力が必要と実感するのだけど。

 

 

自分を信じるって、どうゆうこと?

今の状況を乗り越えられると、強い気持ちを持つこと?

未来に希望を抱くこと?

 

 

何だかしっくりこない。

 

 

そしてある瞬間、ぱっと心に浮かんだこと。

私は、私を導いてくれる大いなる存在を信じられる。それに、委ねること。

これが、今の私にとって、"自分を信じること"に対する一番しっくりくる答えだ。

 

ほんとに、ヨガの教えに通じるなと、しみじみとヨガを尊敬する。

 

"個"としての"自分"なんて、本当は存在しないのだということ。

私もこの問いに、自分という枠を取り払って向き合ったときに、答えがみえた気がする。

 

 

2021/09/23

入院 つれづれ日記 その2

"自分に優しく在る" とは、どういうことだろう?

 

それは、その時その時の"自分の内なる声を聴く"ということから始まるのかな、と思う。

 

私達は普段から、家事や仕事、日常のすべてのことをルーティーン化することに、知らずしらずに慣れてしまっている。そのほうが効率が良くて、無駄な労力を生まないから。だけど、それは往々にして、自分の本当の想いを蔑ろにする。

 

入院生活3日目、例にもれず、1日の流れを組み立てようとしている自分に気づく。

 

あぁ、そうだった。今回私に与えられたこの機会は、(それが病気という消極的なカタチで現れてはいるけれど、)私自身に、今こそ自分に優しくなることを学べと言っているのだ。

 

少なくてもこの入院期間は、最大限に自分に優しくしよう。

自分の内なる声を聴いて。

 

寝たいときに寝る。休みたいときに休む。飲みたいときに飲む。読みたいときに本を読む。ヨガをしたくなったらヨガをする。自分の心や身体、お腹の赤ちゃんをいたわりたい時には呼吸や瞑想でエネルギーを送る。聴きたいときにマントラを聴く。

 

世の中すべての人が、こうすべきとは思わないけど、今の私には1番必要なこと。

だけど同時に、意識しないと難しいこと。

2021/09/22

入院 つれづれ日記 その1

入院生活 徒然日記 その1

ネフローゼの診断で、昨日入院。医師からの病状やリスク説明は、悲しみや不安でいっぱいだった。

そこから前向きな気持ちを持つよう、自分自身を鼓舞したが、"弱い気持ちも否定せずに抱いてあげて" との師からのメールに、知らずに抑えていた感情の堰が切れた。そして、その瞬間にプラスな方向へと自分を強制しすぎていた自分や、その不自然さに気づき、その時のありのままの感情を大事にしていきたい、と思った。そこまでが昨日の出来事。

 

 

今朝、いつもの通り4時過ぎに目が覚めた。

病室の南側の窓から見える夜明け前の漆黒の空と街の光、夜明け、夜明け後のすっかり白じんだ空を眺める。

朝はやっぱり、すごくエネルギーを与えてくれる。これからは、良いことしか起こらないよ、と言われているみたいだ。

 

1日経ったら、自分の感情にも変化があるから不思議。

そうか、これが今を生きるということか。昨日の感情は、もう過ぎ去ったもの。それに囚われていることは、妄想しているだけにすぎないということ。日々、一刻一刻と、感情や想いは生まれ、また流れていくのだ。

今の感情は、一言で言うと、「まっさら」。さざなみのおさまった静かな海。

今日はどんな感情が芽生え、流れてゆくのだろう。